「凹む人」と「凹まない人」の違いは、たぶん比較の仕方

「上手い人の曲を聞いて落ち込む」というのは、DTMerあるあるとしてよく語られる感情だ。でも、自分の実感としては薄い。15年やってきて、上手い人の曲で落ち込んだ記憶がほとんどない。というか、無い。これは決して達観してるわけじゃなく、たぶん比較の仕方の違いなんだと思う。「凹む人」と「凹まない人」の違いを、自分のケースを材料に観察してみる。

上手い人の曲で落ち込んだことがない、という違和感

DTMerのネット投稿を覗いていると、時々こういう話題を目にする。

  • 「すごい人の曲聴くと落ち込むよ」
  • 「あの作家の作品見て、自分の曲消したくなった」
  • 「SNSで流れてくる他人の作品で、毎日凹んでる」

こういう声を見るたび、僕は「なるほど」と思いつつ、自分の実感と照らし合わせる。そして、気づく。

自分は上手い人の曲で落ち込んだことが、ほとんどない

これは決して、自分が達観してるとか、メンタルが強いとか、そういう話じゃない。むしろ「凹む感覚」そのものが、よく分からない。

その理由を少し考えてみたい。

物心ついた時から、素晴らしい曲は周りに溢れていた

たぶん、原点はここにある。

物心ついた時から、世の中には素晴らしい曲が溢れていた。クラシック、ロック、ポップス、映画音楽、ゲーム音楽。何度も聴いたり、自分で弾きたくてコピーしたり、感動して涙が出たり。音楽は最初から「触れていく対象」だった

そこに「比較対象」という発想はなかった。

ベートーヴェンの交響曲を聴いて「自分はこれが書けない」と落ち込む人は、たぶんあまりいない。「すごい曲だな」「いつかこういう厚みのある音楽を作りたいな」とは思っても、自分の作曲と並べて凹むという感覚にはならない。

僕にとっては、プロの音楽家全員が、これに近い距離感だ。あまりに圧倒的すぎて、比較する発想が湧かない

DTM始めたての頃は、全員が学ぶ対象だった

作曲やDTMを始めたばかりの頃は、自分以外の全員が自分より上手いと思っていた。

これは事実として正しい認識だった。実際に上手かったし、自分は下手だった。

でも、そういう状況だと不思議と凹まない。全員が学ぶ対象になりうるからだ。

プロの曲を聴いて「プロの音だ…!」と衝撃を受ける。そして、その音に近づきたくて努力する。

  • このシンセはどう作っているのか
  • このミックスのバランスは何で決まっているのか
  • この展開はどういう構造なのか

頭の中はこういう問いで埋まる。落ち込んでいる暇がない。

もちろん、努力がうまくいかない苛立ちはあった。何を頑張ればいいか分からない時のフラストレーションもあった。でも、それは「苛立ち」であって「落ち込み」ではない。これは別の感情だと思う。

苛立ちは行動につながる。落ち込みは行動を止める。同じ「ネガティブな感情」でも、その後の動きが違う。

バンド仲間との対抗心は、別で燃えていた

ただ、ここで一つ自分の中の矛盾に気づく。

20代でバンドをやっていた頃、他のバンドの人たちと仲良くなっていく中で、仲間意識と同時に対抗心が燃えていた

仲間のバンドが良い曲を出すと、こう思った。

「悔しい!俺もこういういい感じの曲作れるはずなのに!」

これは明確に感情が動いている状態だ。プロの音楽家には湧かない感情が、仲間に対しては湧く。

でも、この感情も「落ち込み」じゃなかった。燃料になる悔しさだった。「絶対追い抜く」「次は自分が良い曲書く」というモチベーションに直結していた。

ここに、何かヒントがある気がする。

自分と目線が近い人に対しては、感情が動く

整理すると、こうなる。

  • プロの音楽家=圧倒的すぎて、比較対象にならない=落ち込まない
  • 同じ立ち位置の仲間=比較対象になる=感情が動く

つまり、「凹む」かどうかは、相手との距離感で決まっているのかもしれない。

自分から遠すぎる存在には、感情が動かない。「すごいな」で終わる。

自分と近い存在には、感情が動く。それが対抗心になる人もいれば、落ち込みになる人もいる。同じ「比較した結果」でも、出てくる感情が違う。

僕の場合、近い人に対しては「悔しさ」が出てきた。これは多分、性格や育ち方や環境の影響だと思う。

「凹む」と「凹まない」の差はどこにあるのか

ここから先は仮説だけど、「凹む人」と「凹まない人」の差は、比較対象として誰を見ているかにあるんじゃないかと思う。

自分の場合、こう分けていた気がする。

  • プロ・大物=「学ぶ対象」
  • 同レベル・近い立ち位置=「比較対象」

これが分かれてると、「学ぶ対象」を見ても凹まない。「比較対象」を見ると感情が動くけど、それが対抗心になる。

でも、もしこの分け方ができてないと、どうなるか。

プロも同レベルも全部「比較対象」になる。プロを見て「自分はこんな曲書けない」と凹む。同レベルを見ても「あの人の方が上手い」と凹む。逃げ場がない

SNS時代は、特にこの状況が起きやすい。プロの作品も、自分と同レベルの人の作品も、フラットに並んで流れてくる。距離感が混乱する。

もし「上手い人の曲で凹む」を減らしたい人がいるなら、相手との距離感を意識的に分けて見るのは、一つの試す価値があるアプローチかもしれない。

これは断言じゃなく仮説だ。自分の経験を観察した範囲での話。

まとめ

  1. 「上手い人の曲で落ち込む」感覚は、自分にはほとんどない
  2. プロの音楽は最初から「触れていく対象」で、比較対象にする発想がなかった
  3. 苛立ちはあったが、それは行動につながる感情で、落ち込みとは別物
  4. 近い立ち位置の仲間に対しては対抗心が燃えた、これは燃料になる悔しさ
  5. 「凹む人」と「凹まない人」の違いは、たぶん比較の仕方

これは「凹む人が間違ってる」という話じゃなく、自分の感覚を観察した記録に近い。同じように凹まない人もいるし、凹む人もいる。違いがどこにあるのかを考える材料として、少しでも参考になれば嬉しい。

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